kj映画談義
2017-03-27T21:32:08+09:00
kjnakazawa
kjが独断的に書く映画批評です。
Excite Blog
NHK高校講座「保健体育」全42回視聴。壇蜜先生、ありがとうございました。(315)
http://fromkj.exblog.jp/25648507/
2017-03-27T21:21:00+09:00
2017-03-27T21:32:08+09:00
2017-03-27T21:21:46+09:00
kjnakazawa
未分類
2016年度ももう終わり。年度で生活している人は次年度の準備に気ぜわしい今日この頃だと思う。
映画からちょっと離れるが、この2016年度、ヘロヘロ・ヘラヘラしたこと多かったが、頑張ったと自慢できることもあった。そのひとつに、NHK高校講座2016「保健体育」の授業を本日早朝全42回分すべて視聴しきったぜ!! やりました。むろんスマホでのストリーミング配信を利用したのですが、自分としては頑張った口。
壇蜜先生の「心も体も健やかに毎日お過ごしくださいね。」という優しい言葉に支えらました。ラジオは講義調ではなくて、深夜放送風の語りにつきますね。授業を受けてる感じがしませんでした。壇蜜先生と高校の先生とときどきのゲストの方による対話式でとても聞きやすかった。ありがとうございました。
生きろ、という最後のメッセージ、その熱い思い、受けとりました。『保健体育』での優しい人生論、本当にありがとう。最後に、ラジオによるAEDの実習というのは最高でした。
この高校講座というラジオ番組を通じて、いくつになっても学ぶという行為は大切なんだなぁ、と改めて思いました。
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「海街diary」聖地巡礼(314)
http://fromkj.exblog.jp/25636077/
2017-03-22T21:11:00+09:00
2017-03-22T21:13:32+09:00
2017-03-22T21:11:48+09:00
kjnakazawa
映画
昨晩の雨も上がり、今日は天気がいいので、「海街」へ行った。春の海街は観光客でにぎわっていた。外国からの人がかなりいた。
長谷駅で降りて、海に向かった。路地から海が見えた。人はいない。静かだった。
海岸に降りてみた。
海辺で貝を探した。巻貝を一つ拾った。
春の海 陽気に呆け 貝拾う。
海の道路沿いに「麻心」という名のお店(2F)を発見した。
今日の聖地巡礼はこれでおしまいにしよう。
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土屋トカチ監督次回作「アリ地獄天国(仮)」に期待する(313)
http://fromkj.exblog.jp/25632644/
2017-03-21T16:51:00+09:00
2017-03-21T17:01:34+09:00
2017-03-21T16:51:42+09:00
kjnakazawa
映画
以前読んだ同氏の「ロスジェネはこう生きてきた」(平凡社新書)は、なにか恨み節のようなドロッとした読後感が嫌だったが、この人に何気に関心を寄せてる自分があった。
図書館で「一億総貧困時代」に手がいったのもそんな琴線からか。
でも読んでよかった。
第8章『 <アリさんマークの引越社>そのアリ地獄的実態―剝き出しの悪意と人権侵害の企業で闘う』を読んでいて、この章の終わり近く、ドキュメンタリー映画監督の土屋トカチ氏の名前を見たときは、とてもうれしくなった。たしかにこんなブラックな引っ越し会社の実態を暴き出せるのは、彼しかいない。
前作「フツーの仕事がしたい」を見たときの衝撃は今でも忘れない。
監督:土屋トカチ
出演:皆倉信和ほか
製作年:2009年
製作国:日本
上映時間:70分
映画「フツーの仕事がしたい」は、バラセメントを運ぶ運転手皆倉さんの闘いの記録である。「フツー」ではない労働環境に身をおく皆倉さんが労働組合の力を借りて、「フツーの仕事」を獲得していく過程を描くドキュメンタリーである。この映画から、働くことの心構えや労働組合の存在意義を学んだ高校生は多かった。実社会に出てもビビらずに生きていきたいを綴った者もいた。
とにかく勇気をもらった。より良い労働環境や給料で働き、生きるための勇気をもらった映画であった。なお、このDVDは書籍扱いで「旬報社」から出版されている。
さて、映画「アリ地獄天国(仮)」は、どう展開するのだろうか。仕事中に事故ったトラックの修理代を自腹で払わされた西村さん(仮名)。裁判でその金を取り戻すものの、組合員になったことでの不当な差別、組合つぶし。不当人事で転勤を命ぜられ、今は、監視カメラのもとで一日中書類をシュレッダーに入れる仕事をしている。今も裁判は続いている。そんな会社と裁判で闘っている西村さんを応援したくなった。そして映画「アリ地獄天国(仮)」、早く見たい。お金ためて、トカチさんに制作カンパしようか、どうしようか。
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新海監督の「言の葉の庭」のなかの「万葉集」の和歌(312)
http://fromkj.exblog.jp/25618037/
2017-03-18T13:35:00+09:00
2017-03-21T15:44:58+09:00
2017-03-18T13:35:27+09:00
kjnakazawa
映画
監督・脚本:新海誠
キャスト:入野自由、花澤香菜
製作年:2013年
製作国:日本(東宝)
上映時間:46分
アニメーション作家・新海誠によるラブストーリー。現代の東京を舞台に雨の日に出会った靴職人を目指す高校生の少年と、年上の女性との恋の行方がつづられる。
本ブログ kj映画談義 第290回 「言の葉の庭」の続きです。
生徒の感想文に「学校さぼっちゃだめでしょ」「生徒と先生との恋愛はご法度でしょ」といったものがあった。書き手は、一年生の真面目な生徒であった。学校に来て一生懸命に勉強しようしようと頑張っている生徒には確かにドクだったかもしれない。靴職人になるという自己実現のためには、高校は卒業資格が取れればいいので、雨の日の午前は新宿御苑に行って学校に行かないというのは、まともな高校生のすることではない。そういうのが許せないのだから本気でそう書いているのなら、ぎりぎりのところで頑張ってる生徒かも知れない。心をくじくような悪いことしたかもしれない。ごめんなさい。
さて、二人の間で交わされる万葉集の和歌のなぞかけは?
(冒頭の番号は「国歌大観」の番号)
巻十一
2513 なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ(鳴る神の 少し響みて 差し曇り 雨も降らぬか 君を留めむ)と年上の女性は歌を詠む
2514 なるかみの すこしとよみて ふらずとも わはとどまらん いもしとどめば(鳴る神の 少し響みて 降らずとも 我は留まらん 妹し留めば)と彼は詠まなくてはならなかった。
柿本人麻呂が歌集に出づ
kj的訳
「雷が鳴り空が曇ってきた。いっそのこと雨が降ってきてくれないかな。そうしたらあなたは、雨のせいでとどまるから。」
「雷など鳴らず、空も曇らず、雨が降らなくても、君がとどまってるのなら、僕はとどまるよ。」
実は、この和歌では、雨は降っていないことに気づく。
突然とどろく雷鳴とともに、愛の告白が始まるのであって、胸にひそむ恋心が雷によって、揺り動かされ、言葉となったのである。
雨の情景がとてもリアルで美しかったという声は多かったが、万葉集の和歌を知れてよかったという感想がないのは意外だった。国語でなく現社でやったからそうなのかもしれない。えっ、現社で!?そうだよ、クールジャパン、かっこいい日本文化の代表と言えば、アニメ。日本のアニメ文化を世界に発信することは、これからの日本経済を考えるうえでとても大事だ。日本のGDPを上げる起爆剤の一つだと思うし、それよりもなによりも、こんな日本的で、文化水準の高い、エンターティメントはない。「言の葉の庭」の監督、新海誠というアニメ作家はやっぱすごいです!
「秒速5センチメートル」もよかったが、3部作であって尺が長い。内容は「言の葉」よりも深いかもしれないが…。個で生きることの耐えがたさと絶望の淵に立つきわどさ。そこから自分を助けてくれるのは記憶のなかの幼い頃の甘い恋心か、いや彼女と再会する偶然性への微かな期待。再会する偶然などあるはずがない。でも、まだあるのなら…。
しかし、50分以内の尺ということで「言の葉」に決定。「私まだ大丈夫かな」という自分への問いかけは、「秒速5センチメートル」から続く新海監督の永遠のつぶやきだ。やっぱ深いなと思う。だからクラスみんなで見て感想を言い合いたかったのだ。
奇しくも、今日3月18日は、柿本人麻呂の命日である。
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海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~(311)
http://fromkj.exblog.jp/25613889/
2017-03-16T20:32:00+09:00
2017-03-18T09:49:24+09:00
2017-03-16T20:32:00+09:00
kjnakazawa
映画
イタリア最南端の小さな島~ランペドゥーサ島の島民の生活とその海域に流れ着いてくる難民船の救出を撮影したドキュメンタリーである。
この映画が妙であるのは、2つのテーマが同時並行で進行し、それぞれのシーンが入れ替わり映し出される点だ。島民の素朴な生活と難民船の救出映像。こっちはこっち、あっちはあっち。最後にこの2つが関連付けられることもなく終わる。そういう意味でのドラマ性はない。
この20年で約40万人の難民がこの島に上陸したという。シチリア海峡で溺死した難民の数は一万五千人と推定される。しかし、その事実を島民が受けとめる映像はない。最後まで、島民が難民をみたり、難民が島民と交流するといったことはない。島民は島民の生活を静かに送り、難民は難民で必死に生きるのである。
主人公と言っていい少年のサムエレは爺さんが夜に海に潜って捕ったイカをおばーさんが煮て作ったイカのパスタをおいしそうに啜る。(この少年は日本人がうどんを食べるようにパスタを啜っていた。)そして父親はその食卓で船酔いをしないようにもっと胃を鍛えないといけないと、子を諭す…。
一方の難民は、一等船室と三等船室で生死が分かれ、助かった若者は収容所でサッカーに興じ、インタビューに答えて、サハラ砂漠は地獄だった、自分の小便さえ飲んだと何度も何度も語る。
漁民はもくもくと魚を捕り、難民は生死の境をさまよう。地中海の辺境のこの海域はまるで世界の裂け目のようだ。
ナレーションはない。テレビによくある報道番組のようでもなく、辺境の漁村を田舎風に写す旅情もない。2つのテーマは触れあるようでいて触れ合わず、カメラはどこまでも静かに、そして覚めた眼差しで人々を写すのである。第66回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。
監督:ジャンフランコ・ロージ
キャスト:サムエレ・プチッロ、ジュゼッぺ・フラガパーネ、ピエトロ・バルトロ
製作年:2016年
製作国:イタリア=フランス
上映時間:114分
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中島みゆき Consert 「一会」2015~2016 劇場版(310)
http://fromkj.exblog.jp/25608802/
2017-03-14T20:47:00+09:00
2017-03-21T15:44:17+09:00
2017-03-14T20:47:01+09:00
kjnakazawa
music
今日は、中島みゆき 最新コンサートの感動が映画館の大スクリーンに蘇る。中島みゆきコンサート「一会」2015~2016 & リハーサル ドキュメンタリー(30分)同時上映を見た。
圧巻である。感動である。二年前の東京フォーラムの公演が思いだされた。
第1部冒頭sweetの「ピアニシモ」で中島は何を伝えたかったのかな?小さな声で、小さな声で。大きな声でなくて、小さな声で言ってください。他人の言葉が聞こえてくるんです。そっと寄り添っているとあなたの言葉が聞こえてくるんです。
圧巻は第2部bitterでした。
「阿檀の木の下で」→「命の別名」。時代が追い付いてきたとみゆきさんは公演で言ってから、歌い始めました。沖縄音階の優しい歌「阿檀の木の下で」。沖縄は戦争でひどい目にあいました。そして戦後も、今も、ひどい目にあっている沖縄。名のない者たちの命の別名をこころという、「命の別名」に歌はつながっていきます。
中島は、名もなき者の。中島はちいさき者、虐げられた者、忘れされてていく価値なき者の味方です。かれらに寄り添って優しく歌うのです。
沖縄に新たな基地をつくれ、いやつくらない。いや、つくれ。いや、つくるのは反対です。…。そうしたもめごとを表現しようとするのでしょうか、中島は両手にもった長い赤いリボンの右端をパッとはなし、またつかみ、次に左端をパッとはなし、今度は右端をはなし、今度は左端をはなしと、繰り返すのです。
中島は名の知れぬ小さき者の味方です。
それは、アニメ「この世界の片隅に」のすず役がノンでなくてならないことと、同じです。ノンは外部の強い力で表に出られないのであっても、戦時下に懸命に生きるすずとして声を張り上げ、すずに憑依して、声優としてがんばりました。そのことが、見るものにどれだけの生きる力を、生きる勇気を、与えてくれたことか。
中島も
同じです。
中島みゆきは「ファイト」の時から少しも変っていない。
kjは果ての果てまで中島のファンであり続けようと思うのです。
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映画「ニーゼと光のアトリエ」を見て(309)
http://fromkj.exblog.jp/25599214/
2017-03-13T20:43:00+09:00
2017-03-14T20:06:00+09:00
2017-03-13T20:43:41+09:00
kjnakazawa
映画
映画冒頭に男性医師から語られるロボトミー手術は知っていた。映画「カッコーの巣の上で」(1975年)を見たときのショックを今も忘れはしない。とんでもないものを見てしまったという後悔しきりのデートだった。
ロボトミー手術はアイスピックでやるというのである。前頭葉辺をアイスピックでうまい具合に刺すと、狂暴な人間も穏やかになる。しかし人間的な感情が失われ、二度と戻ることはない。ノーベル賞も受賞したという、当時としては画期的な手術であったそうだが、これは治療ではないだろう。日本では1975年に廃止宣言がだされたという。
この映画では、もう一つの野蛮な治療法である電気ショック療法が実施される場面があった。その電気量のアンペア数も定かでないいい加減なものであることを主人公の女性精神科医ニーゼは鋭く突く。もちろんアイスピックでなく言葉でだ。
どのような精神医療を目指すべきか?彼女はまず、これからは患者と言わずクライエントと言うようにと看護師らに徹底させた。そして作業場を光あふれるアトリエにして、クライエントに絵筆と絵具を与えた。病院がもたらす恐怖と束縛で閉ざされてしまった彼らの心を解放しようとする試みであった。その着想の底辺に、ユングの精神分析学があり、無指示性のカウンセリング療法があった。
ユングは、精神は身体と同様に自己治癒能力を持っていて、本来の姿にもどろうとする力がある考えた。その心の相補性はユング派のカウンセリングによって確認できる。
今、クライエントが言葉を失って会話が成り立たないのであれば、絵を描くことによって、クライエントの心の中の無意識のイメージが表現されているのではないか。精神科医が見守るなかで絵を描き、その絵についてともに語り合うことを通じてクライアントの心の闇に光がさしていくのではないか、ニーゼの着想とはそうしたものだ。
だが、絵で過去の闇を表現することは、過去の触れたくない何かを暴くこと、抉ることにもなる。かえって情緒不安定になり、精神が壊れてしまうことだってあるかもしれない。精神科医はそういうことににも注意を払わなければならない。決して自分の治療法にうぬぼれないこと、クライエントの身を常に気遣うこと。自分の行う治療法の成果や実績ばかりを気にかけて、保身や名誉にばかりに気をとられてはならない。また、クライエントとただ親密であればいいのではない。クライエントとの節度ある距離感も忘れてならない。そういった精神医療の難しさも映画の後半で描いていた。
つねにクライエントとともに、人間として対等の立場に立って、治療に専念すること。
ブラジルでの実話をもとにした映画だ。ずしりと伝わるものがあった。
原題:Nise da Silveira: Senhora das Imagens
監督・脚本:ホベルト・ベリネール
キャスト:ニーゼ→グロリア・ピレス、アデリナ→シモーネ・マゼール、カルロス→ジュリオ・アドリアォン、エミジオ→クラウジオ・ジャボランジー、フェルナンド→ファブリシオ・ボリベイラ、ルシオ→ホネイ・ビレラ
製作年:2015年
製作国:ブラジル
上映時間:109分
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大光寺圭 綾瀬タウンヒルズで歌う(308)
http://fromkj.exblog.jp/25585925/
2017-03-12T13:30:00+09:00
2017-03-12T13:35:58+09:00
2017-03-12T13:30:41+09:00
kjnakazawa
music
昨日3月11日綾瀬タウンヒルズで大光寺圭のミニライブがあったので見に行った。綾瀬タウンヒルズはめったに行かないので道に迷い遅刻した。終わり2曲「四月の風に吹かれて」とラストの名曲「長後街道」だけしか聴けなかったが、久しぶりに生声を聴け、昔の教え子にも会えて、うれしかった。教え子は、この春小学校に入学するという男の子を連れていた。少年と軽く挨拶した。すこし元気がでてきた。
春になると幸せを 願いたくなる
春になると哀しみが 呼び起される
四月の風に吹かれて ただ立っている
四月の風に吹かれて 目を閉じてみる
四月の風に吹かれて また始まる
四月の風に吹かれて みんな感じている。
(四月の風に吹かれて 作詞・作曲:大光寺圭)
6年前の3月11日、東日本大震災があった。亡くなれた方々や行方が分からない方々を悼みます。復興いまだ途上。がんばれ東北、福島…
「春になると幸せを願いたくなる 春になると哀しみが呼び起される…」
ただただ四月の風に吹かれたい。春を待つ今日この頃です。
ここで一句
早咲きの桜は天に向かいけり
圭ちゃん!ありがとさん。
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映画「あいつと私」の思い出(307)
http://fromkj.exblog.jp/25579104/
2017-03-11T22:12:00+09:00
2017-03-12T12:29:17+09:00
2017-03-11T22:12:08+09:00
kjnakazawa
映画
石原裕次郎・芦川いづみ主演の青春映画「あいつと私」(日活/1961年)をはじめて見たのはいつだったのか、はっきりと覚えていないが、中学生か高校生の頃にテレビで見た記憶がある。面白かった。
冒頭の歌からウケた。裕ちゃんと混声合唱団が歌うオープニング曲だが、一番が「あいつはあいつ、おれはおれ~」、二番が「女は女、オスはオス~」とはじまるけったいな歌(作詞:谷川俊太郎)。のっけから思いっきりのうてんきな歌で始まる学園ラブコメディーだ。
この映画を見て、大学に憧れた。自分も大学に行きたいと思った。今にして思えば、受験勉強を人並みにコツコツやれたのも、「あいつと私」のおかげだったと言っても言い過ぎでない。
その後、大学を出て社会人になった80年代にビデオが普及して、この映画のVHSが売り出されたので、買って何度か見た。そのつど突っ込みどころがいろいろあって、やっぱ面白い。吉永小百合の妹役がちゃきちゃきしていてかわいくてはまり役だと思ってみたり、酒井和歌子がその下の妹だったことを何十年もしてから気づいてみたり。国会周辺の安保闘争のシーンが迫力があったなとか、全学連の活動家が強姦魔だったというのはよくある陳腐なプロットだなあとか、その活動家を尊敬していた女子学生本村貞子を演じる吉行和子が実にリアルで若い女優陣のなかでもひと際異彩を放っていたなとか、見る楽しみは尽きなかった。
実は最近またにわかに興味がわいてきて、今度は原作を読んでなかったので、読んでみた。原作は「若い人」「青い山脈」で有名な作家石坂洋二郎である。週刊誌の連載小説であったらしく、芦川いづみが演じる浅田けい子が語る手記の体裁をとった小説であった。映画で芦川いづみがナレーションを入れているのは小説の体裁を忠実に再現していたのだ。映画「あいつと私」はこの原作のストーリーをテンポよくなぞっていたことが分かった。
ただ、大変大きな違いがあることに気づいた。原作は浅田けい子の恋愛観や結婚問題といった内面を描く手記であった。主体はあくまでも彼女である。その彼女を家族や女友達や「あいつ」やその母のモトコ・桜井が取り囲んでいる。原作は女性の生き方をテーマにした小説であった。それに対して映画は、黒川三郎を主体とした物語である。そして黒川を演じる石原裕次郎の魅力を最大限に引き出す演出がはかられた物語に変転していった。
したがってエンディングが原作と映画では相当に違っている。
小説でのエンディングでは、女性上位。モトコ・桜井がデザイナーの円城寺を誘ってホテルで不倫をし、浅田は黒川とナイトクラブで自分からキスをねだるというリードぶりだ。うだうだの結末、なんともふしだらな終わり方をするが、それが当時の男社会での男女同権主義の限界だったともいえるかも。しかし映画では、黒川のペースにどんどんと引きずられていくが、それはそれでいいかなと思うような女心。開明的な良妻賢母の結婚観で物語を完結させて、女性がもつ結婚願望の成就で観客を納得させてしまうのだ。「僕たち婚約することにしました。」という自宅前でのラストシーン。さすが、裕次郎マジック!裕ちゃんの映画なのだ。男性優位社会のもとでのハッピーエンド。戸惑う浅田けい子…。しかし時すでに遅し。
最後にこの映画で一番えげつないシーンとkjが思ったのは、バンビの結婚式後デモに行こうとする街頭にある「クロンボ」という軽食屋の看板だ。これはもちろん原作にはない。映画監督の作為によるものだろう。
「クロンボ」には、米国に対する日本人のひねくれたコンプレックスが感じとれる。安保は敗戦国日本の屈辱的対米政策の継続であり、「クロンボ」はアメリカ本国でエスタブリッシュメントの下で虐げられている黒人の蔑称であるのだから、安保を継続しようとする日本はまるで、アメリカに調教されたエテ公と同じではないか。対米従属に甘んじている日本を日本人自身が卑下しているそのいやらしさが「クロンボ」の看板から感じられるのであり、こうした6月15日の国会周辺の抗議行動には義があるのだというニュアンスを観客に与えるのだ。しかし、きわめて倒錯的であり、ひねくれている表現である。
これに対し、中産階級のノンポリであり、反政府行動に血潮を煮えたぎらせることのない黒川の態度に、観客はどう首肯すればいいのか?その答えは三郎の実の父親が帰国して明かされる。三郎の実父は、「アメリカで日本人が渡り合うには、腕っぷしの一つも強くなければならないのだ」というようなことを、三郎との腕相撲に勝っての自慢話でした。アメリカに戦争では負けて、いまだ屈辱的条約を結ぶにあたっても、ビジネスという道もあるではないか。アメリカ人と対等に渡り合うのはなにも政治の世界だけでない。こういう暗示を観客に与えるに十分であった。求められるのは国の力でもなく、団結する民衆の力でもなく、ビジネスに生きる個人個人の力なのであり、国という狭い枠内でのいざこざを乗り越えていけという無言のメッセージを感じとれるのである。
まさに1960年6月15日をもって、時代は政治対立の時代から、経済競争の時代へと移っていったのである。
監督:中平康/原作:石坂洋次郎/キャスト:黒川三郎→石原裕次郎、黒川甲吉→宮口精二、モトコ・桜井→轟夕起子、浅田けい子→芦川いづみ、浅田金吾→清水将夫、浅田まさ子→高野由美、浅田ゆみ子→吉永小百合、おばあちゃん→細川ちか子、野溝あさ子→中原早苗、磯村由里子→高田敏江、元村貞子→吉行和子、加山さと子→笹森礼子、金森あや子→伊藤幸子、金沢正太→小沢昭一、日高健伍→伊藤孝雄、桑原一郎→武藤章生、園城寺→庄司永建、阿川正男→滝沢修、松本みち子→渡辺美佐子、高野教授→浜村純
製作年:1961年/製作国:日本(日活)/上映時間:104分
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映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」(306)
http://fromkj.exblog.jp/25529148/
2017-03-06T16:04:00+09:00
2017-03-07T06:43:55+09:00
2017-03-06T16:04:56+09:00
kjnakazawa
映画
見たかった。そこで、先週が上映最終週ということもあって、無理して何とかシネスイッチ銀座で見た。
レオナルド・ダ・ヴィンチの芸術、科学・工学などの業績を描いたイタリアのドキュメンタリー映画だ。
2015年に開催されたミラノ万博の『レオナルド・ダ・ヴィンチ特別展』の準備から映画はスタートする。
映画中には再現ドラマがあって、ダ・ヴィンチの関係者が登場するが、ダ・ヴィンチ自身は登場しない。作り物にせずにリアリティーを出そうとした構成上の工夫である。
とにかく映像が美しかった。それとこの映画を見て、サライについてのイメージがkjのなかで随分と変わった。サライことシャン・ジャコモ・カプロッティ。10歳のときダ・ヴィンチの弟子となる。美少年であり、ダ・ヴィンチの絵のモデルを務めた。とにかくダ・ヴィンチのお気に入り。髪がカールしていて水や風の渦のようだ。晩年の作品の「洗礼者ヨハネ」のモデルだったともいわれる。(ダ・ヴィンチは人物を描く際、実際の人物をモデルにしてスケッチして下絵を描く。)サライとは「小悪魔」という意味だそうで、盗み癖があり、よく問題を起こしたとも。映画では、再現ドラマでのもう一人の弟子メルティとの言い合いのシーンが面白かった。
原題:LEONARDO DA VINCI - IL GENIO A MILANO
監督:ルカ・ルチーニ&ニコ・マラスピーナ。
製作年:2015年
製作国:イタリア
上映時間:81分
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映画「スラムドッグ$ミリオネア」を地理の教材に(305)
http://fromkj.exblog.jp/25459075/
2017-02-27T17:50:00+09:00
2017-02-27T17:56:58+09:00
2017-02-27T17:50:48+09:00
kjnakazawa
映画
見たときはじめはちょっと驚いたが、本当に高校の「地理A」の教科書にこんなNoteがあった。
≪スラムドック$ミリオネア 第81回アカデミー賞を受賞したイギリス映画(2008年)。インドのムンバイのスラム街に生まれた若者が、テレビの人気番組に出演し、正解を重ねていく。それとからめて、その青年の逆境に負けない波乱万丈の人生がえがかれる。急激に発展するインド社会をば活写している。≫
「地理A」東京書籍( 28年度版教科書) p.81
Noteというのは本文でなく、はみだし部分にある記事なのだが、他社のもので、インドの盛んな映画産業のことが書かれている記事コラムはあったりするが、さすがに映画そのものを紹介するコラムは珍しい。
似たようなものに、実教出版の「現代社会」p.45で『ちはやふる』(作・末次由紀)競技かるたをテーマとする学園漫画…、としてそのストーリーが説明されているのもあった。単元は「自己形成の課題(2)」。
人権論の授業の教材で、こどもの貧困をテーマにした映画を探していて、はじめは「未来を写した子どもたち」(監督:ロス・カウフマン 、ザナ・ブリスキ、キャスト:コーチ/ アヴィジット/ シャンティ/ マニク /プージャ /ゴウル/ スチートラ /タバシ、製作年:2004年、製作国:アメリカ、上映時間:85分)を予定していた。コルカタの売春街に暮らすこどものドキュメンタリー映画で、2005年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に輝いた話題作。インドの売春街で辛い境遇に置かれている子供たちが、写真と触れることで希望や未来を抱く姿を追う。しかし、少々どぎつい。どうしようか考えあぐねているさなか、中堅の先生の地理の授業研究に参加して、この映画にたどり着いたというわけだ。実はDVDは持っていたのだが、面白いと評判ではあったのになぜだか見てなかった。
授業で見終わって生徒に聞くと、やはり「スラムドック$ミリオネア」は評判が良かった。話がスピーディでクイズ・ミリオネアとの絡みも飽きさせない。だから逆に反省として、途中や最後にペーパーを渡してテストをすべきだったかかもしれなかった。
第1問インドの人口は?第2問ムンバイが面している海の名は?第3問インドはヨーロッパの何という国の植民地だったか?第4問インドの主な宗教は?第5問主人公ジャマールの母が殺された理由は?第6問このスラムでのトイレはどういうものか?第7問悪い大人はお金儲けのためスラムのこどもにどんなことをさせたか?第8問ジャマールのアルバイトは何?第9問インドにはなぜその業種のアメリカ系企業があるのか?第10問インドの世界遺産で有名なシャー・ジャハーンの霊廟は?…しかし、この問題ほとんど地理の授業用だな!?
世界にはスラムで暮らす多くの子供たちがいる。その現実を知らせたかった。しかし、この映画のテンポのよさと主人公ジャマールの果敢な人生への挑戦に見とれ、楽しさが勝ってしまったようだ。
さて次は、日本のこどもの相対的貧困率が15.7%。6人に1人のこどもが相対的貧困にあるという格差社会の現実を高校生といっしょに考えたい。どうすればいいのか?思案中だ。
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千石屋「ジャムサンド」と映画「鰯雲」(304)
http://fromkj.exblog.jp/25398208/
2017-02-20T17:27:00+09:00
2017-02-21T20:38:28+09:00
2017-02-20T17:27:54+09:00
kjnakazawa
映画
先日厚木のアミューに映画を見に行くとき、本厚木駅前の千石屋で「ジャムサンド」を200gほど買った。250円の安さ!これをシートでぼそぼそと食べながらの映画鑑賞会だったのだが、それにしてもこういう時の「ジャムサンド」は美味い。亀谷万年堂の「ナボナはお菓子のホームラン王です」と王貞治さんはテレビCMで言ってたが、千石屋のジャムサンドはさしずめお菓子のフィルダースチョイスといったところか、何だか買って儲けた感が半端ない。
要はクラッカーの間にジャムが挟んであるんだが、「本当はこれはジャムではないんだよ」と通の先輩が昔言ってたのを思いだした。たしかにジャムほどに甘くはないし、歯にべたつかないし、このグミのようなナニは一体何なの?…。けっこうあと引くし、実におつな駄菓子なのだ。
ところで、年配の厚木市民なら知っていると思うが、厚木を舞台にした唯一の映画作品、「鰯雲」。和田傳氏の小説を名匠成瀬監督が昭和33年に映画化したこの「鰯雲」に、千石屋さん(創業昭和29年)の店先が映ってなかったかな。もう一度見て確認したいが、DVDがないレアな映画で、見れず残念でならない。もしも映画館で見れたなら、成瀬監督作品初の総天然色作品と騒がれて、しかもワイドスクリーンだ、冒頭タイトルとラストシーンの鰯雲はさぞかしきれいに違いない。
「鰯雲」
監督:成瀬巳喜男/原作:和田傳(昭和60年5月25日厚木市名誉市民受賞・昭和60年10月12日死去)/ 製作年:1958年/製作国:日本・配給
東宝/上映時間:129分/キャスト:八重=淡島千景、大川=木村功、和助(本家)=二代目中村鴈治郎、タネ(和助の後妻)=清川虹子、初治(長男)=小林桂樹
戦後昭和期の厚木の農家の人間模様を描いているが、農家の嫁で戦争未亡人の八重(淡島千景)と東京から派遣された新聞記者の大川(木村功)の情事がこの映画の主軸である。昔の本厚木の街並みや田園風景、そして厚木駅前(近くに自動車学校がある)、相模川河畔、半原へ向かう神奈中のボンネットバスなどなど、とにかく見ながらにして60年前にタイムトラベルできる厚木市民必見の作品だ。
この映画の公開前年の1957年に開業を始めた3000形ロマンスカーが愛甲の田圃を疾走するシーンがある。鉄道マニアや小田急ファンでなくともこの映像には胸を熱くする。歴史的にも貴重なワンシーンだと思う。(おわり)
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映画「沈黙―SILENCE」と「鎖国」(303)
http://fromkj.exblog.jp/25374480/
2017-02-16T20:28:00+09:00
2017-02-18T18:08:06+09:00
2017-02-16T20:28:41+09:00
kjnakazawa
映画
スコセッシ監督の「沈黙―SILENCE」を昨日横浜のセンター北で見た。予想にたがわずハードで重たい映画であった。江戸初期の鎖国政策による厳しいキリシタン弾圧がこれでもか、これでもかと描かれていく。よく言われる踏み絵のシーンはまるでドキュメンタリー映画を見ているかのような迫真性に満ちていた。目に見えるような暴力だけでなしに、内的な暴力というもの(不安や緊張や恐怖)が渦巻いているスクリーンというものを久しぶりに体感した。さすがは、マーティン・スコセッシ監督であった。
この映画の見どころは、キチジローを演じる窪塚洋介の前半、通辞役浅野忠信、井上様のイッセー尾形の後半といったところか。モキチ役の塚本晋也も含め、日本が誇る個性的な名優である。165分という長めの尺だが、ちっとも長さを感じさせなかった。
ところで、昨日の朝刊では文科省の新しい学習指導要領案が報じられていた(朝日朝刊2/15)。見出しに"指導要領から消える「鎖国」"とあって、目にとまった。『「鎖国」は、「江戸幕府の対外政策」に―。社会科では、学会などでの歴史研究が進んだことなどに合わせ、歴史上の出来事や人物名の表記を変えるケースが小、中学校合わせて6件あった。文科省は、鎖国について江戸幕府が窓口を制限しながらも海外との交易を続けていたことを重視し、「鎖国」とう表現も当時は使わなかったためと説明。「鎖国」は指導要領から消える。…』
「江戸幕府の対外政策」とは何か?日本人・外国人の出入国管理の厳格化、キリスト教宣教師の布教禁止、棄教、日本人キリスト教徒の弾圧、治安維持…などか。限定的な海外交易があったとは言え、こうした閉鎖主義・排外主義をもって「鎖国」政策と言ったのではないのか?少なくとも幕末の開明派が主張する「開国」の反対語としての「鎖国」政策とは、江戸幕府のそうした体制への批判であった。人間性無視の生きずらい体制、、、この映画「沈黙」に描かれる惨状がまさにそれを物語っている。
「なぜ弱きわれらが苦しむのか?」それは、信教の自由などの内心の自由を許さない閉ざされた国であったからなのだ。
原題:SILENCE/製作年:2016年/製作国:アメリカ/上映時間:165分/監督:マーティン・スコセッシ/原作:遠藤周作/キャスト:Rodrigues=アンドリュー・ガーフィールド、Ferreira=リーアム・ニーソン、Garrpe=アダム・ドライバー、Father Valignano=キーラン・ハインズ、キチジロー=窪塚洋介、通辞=浅野忠信、井上筑後守=イッセー尾形、モキチ=塚本晋也、モニカ=小松菜奈他
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「この世界の片隅に」を厚木で見た。(302)
http://fromkj.exblog.jp/25363363/
2017-02-14T20:22:00+09:00
2017-02-14T20:26:59+09:00
2017-02-14T20:22:12+09:00
kjnakazawa
映画
今日遅ればせながら、「この世界の片隅に」をやっと見た。戦時中の広島・呉で生きる女性すずの日常生活を描いたアニメ。こうの史代の同名漫画を片渕監督がアニメ化した作品だ。秀作。さすが2016年第90回キネマ旬報賞日本映画ベスト・テン第1位だけある。片渕監督の丹念な作法とすず役ののんの生命感。天然でありながら、生きる意志の強さが伝わってきた。やはりすず役は、のんでなければならなかったなと思った。
製作年:2016年/上映時間:126分/監督:片渕須直/原作:こうの史代/音楽:コトリンゴ/キャスト:北條すず(旧姓:浦野):のん、黒村径子:尾身美詞、北條周作:細谷佳正
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「人権論」と高校生が見た映画 その5(301)
http://fromkj.exblog.jp/25307185/
2017-02-07T20:52:00+09:00
2017-02-07T20:52:58+09:00
2017-02-07T20:52:58+09:00
kjnakazawa
映画
第25回は、「きみはいい子」。監督:呉美保。出演:高良健吾、 尾野真千子、池脇千鶴。製作年:2015年。上映時間:121分。日本の社会保障、社会福祉のさまざまな問題を描く。新米教師と学級崩壊、孤独な老人と知的障害児、育児虐待、子どもの貧困…。一体日本はどこに向かっているのだろう。この映画は人と人とがつながって、共に生きていくことの大切さを伝えようとしている。★★★★☆
第26回は、アニメ「言の葉の庭」。監督・脚本:新海誠。キャスト:入野自由、花澤香菜。製作年:2013年。上映時間:46分。アニメーション作家・新海誠によるラブストーリー。新宿御苑を舞台に雨の日にしか会わない高校生の少年と、年上の女性との恋の行方がつづられる。私はまだ大丈夫だろうか?自分の人生は自分でしか歩めない。★★★★☆(このシリーズおわり)
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