「ハヤブサは飼い慣らせない。人に服従しないから好きなんだ」
―少年の心はケスと共に大空高く舞い上がる
「ケス」のビデオを手に入れたのは比較的最近のことだ、レンタルビデオ店のレンタル落ちのセール棚に入っていたのを六、七百円くらいで買ったのだ。(レンタル屋さんは時にビデオの真の価値をまったく判っていない。)ラッキーとはこのことだ。さっそくkjの映画コレクションのひとつになった。
ビデオの箱の裏には、キャプションが書かれていて、このビデオが1990年代当時のイギリス映画ブームのたかまりのなかでビデオ化されたことが明記されていた。
いわく、
15歳の少年ビリーは、母親と炭坑で働く粗暴な兄と3人暮らし。周囲にうまくなじめず、学校でも孤立した存在のビリーは問題ばかり起こしている。そんな彼の唯一の楽しみは、森で見つけ餌付けに成功したハヤブサの“ケス”と遊ぶことだった。だがやがて、悲しい別れの時がやって来て……。炭坑町特有のくすんだ風景やケスを飛ばす草原など映像の美しさも秀逸。イギリス映画ブームの中、今をときめく映像作家たちに強い影響を与えた名匠ケン・ローチの代表的傑作が初ビデオ化(1998年)
この映画には教育の原点がある。
旧来の伝統的・画一的な指導法では、生徒に生きる力を育てることができない。(ビリーはハヤブサの飼育・調教法について先生顔まけに教壇に立って説明する能力を身につけた。)(知識というものは、生徒・児童の興味関心と実践的に関わっているものでないと真に身についてはいかないということ)
学校で平然とタバコを吸う現実、教員の自己満足でおこなうサッカーのへなちょこな授業、質の低い教員集団、、、どれもがきっと当時のイギリス教育界の現状であり、それに鋭くメスを入れた作品とも受け取れる。(おそらくそうした現状を踏まえて、政府は70年代に登場したサッチャー政権下、新自由主義に基づく「教育改革」が進められたのだろう。)(しかし、この競争原理によって改革を促そうとする取り組みが教育現場にさらなる荒廃をまねいたことをケン・ローチは「スウィート・シックスティーン」で描いたのだった、、。)
わたしkjは彼を大変に尊敬する。
彼の映画の特徴の第一はその徹底したリアリズムの精神である。
現実をありのままに映し出そうとするリアリズムに徹している。したがって、現実の中で生活する人間の生き様を日常から描く冷徹な彼のリアリズムは、作品が架空のドラマであるにもかかわらず、ドキュメンタリーのような迫真性を持っている。
特徴の第二は、常に社会的弱者を描くということだ。(社会問題のひずみは社会的弱者に現れるという真理。)だから彼のカメラは、炭鉱の町の労働者階級やその子どもたち(「ケス」1969)、または失業者でアル中といった社会的には抑圧される側にいる人々(「マイ・ネーム・イズ・ジョー」1998)にその目が向けられるのだ。その映画作りは一貫して動じない。視座が確立されていて、労働者階級の窮状を的確に描いているのだ。しかしかつての日本のプロレタリア文学のような教条主義に陥らない生命感が今日にいたるまで持続している。
それは第三に彼が、登場人物への暖かいまなざしや思い入れをけっして失わないからである。単なる同情のへなちょこなヒューマニズムではない、「現実はこうだ」だから「現実を変えていく必要があるんだ」 現実の改革を観る者に求めるほどの力あるヒューマニズムに裏打ちされているということだと思う。とても素晴らしいことだ。
ケン・ローチこそまさに商業主義や政治的プロパガンダに堕することのない巨匠というにふさわしい映画監督だと思う。(おわり)