「トーク・トゥー・ハー」(アルモドバル監督/スペイン/2002年)に登場するブラジルのミュージシャン、カエターノ・ベローゾは最高である。
アルモドバル監督は突然にカエターノを登場させる。ギターを抱えて、ある私的なパーティーでのライブというセッティングで彼は歌う。実に意外性のある設定だ。その甘い歌声が深く心にしみこむ。歌のタイトルは「ククルクク・パロマ」である。悲恋の果ての死を“ククルクク”と鳴く鳩に託した歌であり、映画ではギターの弾き語りでパーティーの聴衆の中で歌う。この歌について調べてみると、もともとメキシコのトマス・メンデスという作曲家による1950年の作品だという。歌詞はスペイン語である。恋人を失った寂寞を歌った歌である。
「…まるで哀しいハトのように 朝早く 歌っていたっけ 誰もいないこの家で どの扉もいっぱいに開いた家 そのハトは おまえの魂だったのだ 不幸な女が戻ってくるのを待っていた ククルククー ハトよ ククルククー 何があっても もう泣くな ハトよ おまえが恋について知りうることは ないのだろうか」
映画館で買い求めたプログラムの1ページ目の見開きのレビューでピーコさん(服飾評論家)が「こんなにも、男の人の涙が哀しみを呼ぶ映画に出会えるなんて!私も見終わった後涙が止まらないのです。」とコメントを寄せているが、この涙はきっとこのカエターノの歌を聴く主人公のマルコ(泣く男)について語っているのだろうとすぐに気づく。この映画は、実に深い悲しみをたたえた映画であると共に、人生のおかしみをも描いたいわばアルモドバル・マジックによる快作と言っていい。
しかしいまここで言いたいのは「トーク・トゥー・ハー」はただこのカエターノ・ヴェローゾの「ククルクク・パロマ」を聞くだけでも価値のある映画だということだ。ちなみにオリジナル・サウンドトラック版CD「トーク・トゥー・ハー」では「ククルクク・パロマ」にマルコの台詞がかまないヴァージョンを聴くことができてあり難い。(kjは電車のなかではよくこれを聴く)。この映画の音楽担当はアルベルト・イグレシアスである。イグレシアスの映画音楽はとても完成度が高く、このサウンドトラック版CDは映像がなくても十分音楽だけで楽しめる出来栄えである。「ククルクク・パロマ」が入っているカエターノ・ヴェローゾのCDとしては、カエターノ・ヴェローゾ SINGS がある。ただこの中の「ククルクク・パロマ」はギター弾き語りではなく、オーケストラを従えたヴァージョンであり、あのパーティー・シーンの即興性がない。
とにもかくにも、このアルモドバル監督の「トーク・トゥー・ハー」で、もしカエターノ・ベローゾが歌声を披露しなかったとしたら、この映画の魅力が半減していただろうと私は断言する。
(おわり)