ここのところkj映画談義と言っておきながら映画の話題がないというお叱りの言葉を頂いた。
確かにそうだな。別に面白い映画がないのではなく、忙しくて見にいけないのだ。
そんな映画に不義理な今のわたしだが、「それでもボクはやっていない」(2006日本/東宝/周防正行監督/加瀬亮、瀬戸朝香、役所広司他)を3週間くらい前に見た。
確か封切られてちょいのころの日曜の日中にテレビに周防(すお)監督が出演していて、映画の宣伝をしていたのが、見に行くきっかけであった。
この映画は「Weeklyぴあ」には90.7点というハイスコアーで社会派ドラマ&しみじみというマークがあった。さらに説明文が続く「主役は裁判!本年度屈指の問題作 「Shall we ダンス?」以来11年ぶりとなる周防正行監督作は、痴漢冤罪を扱った臨場感溢れる法廷劇、誰も知らなかった日本の刑事裁判の真実と問題点を、笑いが一切なしの迫真の構成と描写であぶり出していく。日本人なら必見の力作だ。」
しかし電車内での痴漢事件が事の発端という映画だからな、正面きってのヒューマンな裁判法廷劇でもないし、かといって巨悪に迫るといった社会派サスペンスでもない。要は痴漢と疑われた若い青年が裁判の末有罪になってしまうというチンケであるが実にユユシイ深刻な物語なのである。
昔「事件」(1978 松竹/原作:大岡昇平/脚本:新藤兼人/監督:野村芳太郎/松坂慶子、大竹しのぶ、永島敏行)というやはり法廷劇映画があった。「事件」は殺人事件を扱った裁判劇であり、殺人であったのか?、事故であったのか?、その真相が裁判によって明らかにされるのであった。いや、やはり裁判では真実は明らかにされないのか?どうなのか?そこのところがスリリングに描かれていた。原作が大岡昇平だけに登場人物の人間模様もまたうまい具合に絡んでいて、単なる法廷物を越えたドラマがあった。(特に大竹の役どころのヨシ子はこの映画のトリックスターであり、大竹がそれを好演していたのが印象的であった。)
さて本編「それでもボクはやっていない」であるが、主人公(加瀬亮演じる「徹平」が最初から最後まで言ってる様に彼は痴漢行為をやっていないのである。そのことがこの映画の前提だ。にもかかわらず公正な裁判を通じて彼は有罪となってしまうのだ。ここのところの怖さがこの映画の主旨であり、逆に言えばそれだけである。裁判か進行していく過程で劇的な展開があるものではないのだ。(しょうしょう裏切られた)むしろ現実の裁判はこんなふうに展開をします、と怖いぐらいリアルに日本の裁判の有り様を淡々と描写していく。そこがこの映画の生命線だ。したがってストーリーの妙味というものは感じられない、というとキツイが、そこが正直な感想である。
そうは言うものの、これは

現代社会におけるゆゆしき深刻な問題であることは事実だ。プログラムを買って家に帰ってからぺらぺらめくっていて、あるチャート(逮捕後の流れ〔前科のない場合〕(次回書きます。)を見てなんだ、なんだという感じになってきた。
主人公の徹平には痴漢をする意図がなかったし、痴漢行為をしなかった。しかし彼は逮捕され、裁判にかけられ、4ヶ月拘留された。4ヶ月くさい飯を食った。そして、有罪の宣告を受けた。あんな満員電車のあんな些細なことで、人は人生を棒に振ることだってあるということか。この映画における、この不条理に対する怒りのメッセージは強烈である。
痴漢といえば、そうそう、気になることがもうひとつ。あの手鏡持参の植草教授(2回目の痴漢事件で逮捕・拘留)も今は保釈の身だ。きっとこの映画を見に行っただろうと思う。彼の映画の感想を聞いてみたい。彼もまたいまでも無実を訴えているわけだからして。(つづく)