石原裕次郎・芦川いづみ主演の青春映画「あいつと私」(日活/1961年)をはじめて見たのはいつだったのか、はっきりと覚えていないが、中学生か高校生の頃にテレビで見た記憶がある。面白かった。
冒頭の歌からウケた。裕ちゃんと混声合唱団が歌うオープニング曲だが、一番が「あいつはあいつ、おれはおれ~」、二番が「女は女、オスはオス~」とはじまるけったいな歌(作詞:谷川俊太郎)。のっけから思いっきりのうてんきな歌で始まる学園ラブコメディーだ。
この映画を見て、大学に憧れた。自分も大学に行きたいと思った。今にして思えば、受験勉強を人並みにコツコツやれたのも、「あいつと私」のおかげだったと言っても言い過ぎでない。
その後、大学を出て社会人になった80年代にビデオが普及して、この映画のVHSが売り出されたので、買って何度か見た。そのつど突っ込みどころがいろいろあって、やっぱ面白い。吉永小百合の妹役がちゃきちゃきしていてかわいくてはまり役だと思ってみたり、酒井和歌子がその下の妹だったことを何十年もしてから気づいてみたり。国会周辺の安保闘争のシーンが迫力があったなとか、全学連の活動家が強姦魔だったというのはよくある陳腐なプロットだなあとか、その活動家を尊敬していた女子学生本村貞子を演じる吉行和子が実にリアルで若い女優陣のなかでもひと際異彩を放っていたなとか、見る楽しみは尽きなかった。
実は最近またにわかに興味がわいてきて、今度は原作を読んでなかったので、読んでみた。原作は「若い人」「青い山脈」で有名な作家石坂洋二郎である。週刊誌の連載小説であったらしく、芦川いづみが演じる浅田けい子が語る手記の体裁をとった小説であった。映画で芦川いづみがナレーションを入れているのは小説の体裁を忠実に再現していたのだ。映画「あいつと私」はこの原作のストーリーをテンポよくなぞっていたことが分かった。
ただ、大変大きな違いがあることに気づいた。原作は浅田けい子の恋愛観や結婚問題といった内面を描く手記であった。主体はあくまでも彼女である。その彼女を家族や女友達や「あいつ」やその母のモトコ・桜井が取り囲んでいる。原作は女性の生き方をテーマにした小説であった。それに対して映画は、黒川三郎を主体とした物語である。そして黒川を演じる石原裕次郎の魅力を最大限に引き出す演出がはかられた物語に変転していった。
したがってエンディングが原作と映画では相当に違っている。
小説でのエンディングでは、女性上位。モトコ・桜井がデザイナーの円城寺を誘ってホテルで不倫をし、浅田は黒川とナイトクラブで自分からキスをねだるというリードぶりだ。うだうだの結末、なんともふしだらな終わり方をするが、それが当時の男社会での男女同権主義の限界だったともいえるかも。しかし映画では、黒川のペースにどんどんと引きずられていくが、それはそれでいいかなと思うような女心。開明的な良妻賢母の結婚観で物語を完結させて、女性がもつ結婚願望の成就で観客を納得させてしまうのだ。「僕たち婚約することにしました。」という自宅前でのラストシーン。さすが、裕次郎マジック!裕ちゃんの映画なのだ。男性優位社会のもとでのハッピーエンド。戸惑う浅田けい子…。しかし時すでに遅し。
最後にこの映画で一番えげつないシーンとkjが思ったのは、バンビの結婚式後デモに行こうとする街頭にある「クロンボ」という軽食屋の看板だ。これはもちろん原作にはない。映画監督の作為によるものだろう。
「クロンボ」には、米国に対する日本人のひねくれたコンプレックスが感じとれる。安保は敗戦国日本の屈辱的対米政策の継続であり、「クロンボ」はアメリカ本国でエスタブリッシュメントの下で虐げられている黒人の蔑称であるのだから、安保を継続しようとする日本はまるで、アメリカに調教されたエテ公と同じではないか。対米従属に甘んじている日本を日本人自身が卑下しているそのいやらしさが「クロンボ」の看板から感じられるのであり、こうした6月15日の国会周辺の抗議行動には義があるのだというニュアンスを観客に与えるのだ。しかし、きわめて倒錯的であり、ひねくれている表現である。
これに対し、中産階級のノンポリであり、反政府行動に血潮を煮えたぎらせることのない黒川の態度に、観客はどう首肯すればいいのか?その答えは三郎の実の父親が帰国して明かされる。三郎の実父は、「アメリカで日本人が渡り合うには、腕っぷしの一つも強くなければならないのだ」というようなことを、三郎との腕相撲に勝っての自慢話でした。アメリカに戦争では負けて、いまだ屈辱的条約を結ぶにあたっても、ビジネスという道もあるではないか。アメリカ人と対等に渡り合うのはなにも政治の世界だけでない。こういう暗示を観客に与えるに十分であった。求められるのは国の力でもなく、団結する民衆の力でもなく、ビジネスに生きる個人個人の力なのであり、国という狭い枠内でのいざこざを乗り越えていけという無言のメッセージを感じとれるのである。
まさに1960年6月15日をもって、時代は政治対立の時代から、経済競争の時代へと移っていったのである。
監督:中平康/原作:石坂洋次郎/キャスト:黒川三郎→石原裕次郎、黒川甲吉→宮口精二、モトコ・桜井→轟夕起子、浅田けい子→芦川いづみ、浅田金吾→清水将夫、浅田まさ子→高野由美、浅田ゆみ子→吉永小百合、おばあちゃん→細川ちか子、野溝あさ子→中原早苗、磯村由里子→高田敏江、元村貞子→吉行和子、加山さと子→笹森礼子、金森あや子→伊藤幸子、金沢正太→小沢昭一、日高健伍→伊藤孝雄、桑原一郎→武藤章生、園城寺→庄司永建、阿川正男→滝沢修、松本みち子→渡辺美佐子、高野教授→浜村純
製作年:1961年/製作国:日本(日活)/上映時間:104分