
この映画はたしか中学生の時、10chの今はなき淀川長治さんの日曜洋画劇場で見たような記憶がある。遠い遠い昔のこと。で、懐かしく、先日安かったのでDVDを買った。。
監督:シドニー・ルメット/出演:ヘンリー・フォンダ他/97分/アメリカ/1957年
社会派シドニー・ルメットが描く法廷サスペンスの傑作!DVDの裏にはこんなコピーがある。
「18歳の少年が父親殺しで起訴された。事件を審議する12人の陪審員のうち、11人の結論あ有罪で一致。しかし、8番陪審員だけが、有罪の根拠がかに偏見と先入観に満ちているかを主張する。審判には12人全員の一致が必要だが、次第に少年の無罪を示唆する証拠が浮かび上がり、ひとり、またひとりと審判をひるがえしていく…。 日本で裁判員制度が始まった今、必ず観ておきたい法廷サスペンスの名作。」と結んでいるが、実際高校の授業で見せることってあるのだろうか?生徒が退屈しないかどうだろうか?
たしかにこの映画、面白い。そして、日本でも裁判員裁判が昨年から始まって、国民の司法参加が本格化して司法への国民の関心も高まっている。2年目を向かえ、この裁判員制度の様々な問題も見えてきた。だから、こうした裁判を描いた映画の意義もあるのだが…。
まず周防監督(「それでもボクはやっていない」)は次のように言っている。「日本の法廷劇とアメリカの法廷劇の違いは、アメリカの場合、ほとんどが陪審員制を舞台にしていますよね。みんながどこを見て裁判しているかというと、陪審員の方を見ている。陪審員は一般市民ですから実は観客に重なる。裁判官も弁護士も検察官も、法廷で観客に向けてパフォーマンスしているようなものなんです。だからアメリカの法廷劇は映画向きなんですよね。…」(「それでもボクはやっていない」プログラムより)
日本の刑事裁判の主役は、裁判官なのだとも周防監督は言っている。
アメリカの陪審員制度では、評決の方法は陪審員12人の全員一致が必要なので、そこのところがこの「十二人の怒れる男」という映画の面白さを際立たせている。はじめ11対1の有罪から、じわりじわりと評議は進み、評決は12対0の無罪へと劇的な変化を遂げる。
この過程を理解するには、もちろん推定無罪の原則を理解していないとならない。陪審員には、被疑者が犯人でないことの証明は不要であり、(検察に立証責任がある)検察の主張は間違いがないならば、有罪。間違いがないと確信できない(疑わしいところがある)なら、有罪ではない。(つまり無罪)ということである。(無罪の推定、「疑わしきは被告人の利益に」。)
ものの本では、カリフォルニア州の裁判所では通常次のような説示がなされる。「刑事手続きにおいては被告は、有罪が立証されるまで無罪と推定されます。もし被告が十分に有罪であるとすることについて一点でも合理的な疑いが残れば、被告は無罪の評決を受ける権利があります。この無罪推定の原則によって、検察側は一点の合理的疑いもない程度に被告の有罪を立証する責任があるのです。」
もちろん日本においてもこの無罪推定の原則は貫かれているのであるが、裁判員裁判を仮に映画をしてみても、「十二人の怒れる男」のようにはドラマチックな筋書きは期待できないだろう。なぜかと言うと、日本では刑事裁判での被告人の有罪率は99.9%だからだ。
「否認事件の中では、2~3%程度が無罪になりますので、罪を認めている事件も含めると、無罪は0.1%程度になります。これは本当の数字です。」とQ&Aにある(「同上」より)
日本の裁判員裁判は事実認定において(無罪か有罪かを決めるとき)裁判員6名と裁判官3名の9名全員が評議で議論を尽くしても、意見が一致しない場合、多数決で結論を決めると定められている。しかし、有罪率99・9%の現状では無罪と評決されることは事実上なさそうである。
実質的な議論があるのは、次のステップの量刑を判断する場合である。定めでは、量刑を判断する場面でも、多数決で結論を決めることができるが、その場合は、合議体の過半数の意見であり、かつ、裁判官と裁判員の双方の意見を含んでいることが必要である。もし、量刑について意見が分かれ、この条件を満たさない場合には、満たすようになるまで、被告人に最も不利な(重い)意見の数を、次に不利な(重い)意見の数に足していき、結論を出すのである。
つまり、量刑にかかわっての多数決による評議の決定には、過半数であること(5票以上)とその中に裁判官&裁判員が含まれていることが条件なので、そうなるようにひたすら議論が行われる。したがって、もしも仮に6人中5人の裁判員がそうだと同一の結論をくだしても、それは過半数ではあるが、そこに裁判官が入っていないのであるから、それが結論とはならないと言うわけだ。(結構ややっこしい。)
現在のところ、裁判員裁判ですでに三度の死刑判決が出たというが、評議ではどのような議論が交わされたのか、その結論に多数決が使われたのか、気になるところだ。いずれにせよ、有罪は決まっていて、さて量刑は?というところが日本の裁判員裁判のキモと言ったところなのだが、そこんところを映画の目玉にしてみても、この評議は地味な感じになりそうで、日本版「十二人の怒れる男」というわけにはいかないカンジがしてしまう。